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執筆者の写真Lapis Lazuli SP

死体の取り扱い方①

・筆者の経験


 筆者には祖父がいません。父方の祖父は3年ほど前に、母方の祖父は私が中学3年のころに逝去しました。父方の祖父の死目には会えなかったのですが、母方の祖父は白血病を患っており、骨髄移植のために抗がん剤治療を受けていました。抗がん剤治療がうまくいけば、骨髄移植まで漕ぎ着ける・・・。と皆が希望を持っていましたが、複数回にわたる数種類の抗がん剤治療を試しても、母方の祖父の白血病は治療が難しいタイプのものだったようで日に日に病状が悪化していきました。

 中学3年の1月、筆者は高校受験を目前に控え深夜2時ごろまで勉強をする日々を送っていました。ある日、二階の自室で勉強をしていた筆者は喉が渇いたので一回のキッチンまで降りていきました。キッチンで水を飲んでいると、電子レンジの横にあった扉が突然開き、青ざめた顔の母がいました。母方の祖父の容体が急変したとの知らせが病院から届きました。

 私は夜も遅く、受験勉強を控えていたこともあって自宅に残るように両親から言われましたが、幼い頃から自分の面倒を見てくれた大切な祖父の死目だったので無理をしてでも車で30分離れた病院までついていきました。筆者の両親、姉、筆者の4人は車に乗り込みました。皆は突然のことで動揺はしていたものの、悲し実はなく、沈黙を保ったまま病院につきました。

 病院に到着し、祖父の病室に入ると、人工呼吸器を繋げられ、苦しそうな呼吸音を出している祖父が横たわっていました。筆者はそのとき、初めてことの重大さに気付き、人が目の前で死の淵に立っている場面を初めて目の当たりにしました。しばらくすると、祖父の兄弟姉妹総勢5人ほどが病院に到着しました。皆、一人ずつ祖父に声をかけ、手を握り、泣き出す者も現れました。

 そこに、祖父の主治医の先生が現れ、祖父の病状を説明しました。日々の度重なる抗がん剤治療によって祖父の血管は非常に脆くなっていた。その日の夕食の時間に看護師が祖父の元を訪れたときは元気な様子だったので、深夜に容体が急変したようだ。脳内の血管が破裂し、今は意識はないが、本人は苦しんでいるかもしれない。そして彼は我々に2つの選択を持ち出しました。一つはこのまま自然の摂理に任せて死を迎えさせてあげることでした。その場合は朝まで持たないだろうとのことでした。もう一つは特殊な薬を入れて延命をすることでした。その場合は意識を一時的に取り戻すかもしれないが会話はままならず、数日以内になくなるかもしれないとのことでした。

 我々は2つの選択を前に、2つの意見を持った人間に別れました。一つはこれ以上苦しませずに死なせてあげることです。私は、数日間の苦しみをさらに加えるくらいならば、自然に任せ、祖父をこれ以上苦しませることなく逝かせてあげたいと願いました。ただ、あの場を経験した人ならばわかると思います。薬物での延命か、自然に亡くならせるかの二択を選ばさせられたとき、後者を選ぶと『お前は殺人鬼か』、『お前は見殺しにするのか』と詰め寄られると反論できなくなります。

 我々が自分たちの意見を主張し続けていると、主治医はこう言いました。『もう時間がありません。今ですら手遅れかもしれない。薬を投与するならば今しかありません』と。

 結局、祖父には延命用の薬が投与されることになりました。

 

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